12月9日

 人間としては起こり得ないことが、神の全能の力によりマリヤの身に起こった時(聖霊による受胎、妊娠)、彼女は主をあがめ、賛美せずにはおれませんでした。「わが救い主なる神を喜びたたえます」(ルカ一・四七)と言っています。マリヤは、私の霊は、私のたましいは、私の救い主を喜ぶと、どこ迄も他人事ではなくて私のクリスマスとして主なる神をほめたたえています。詩人シレシウスは、「キリストベツレヘムに生れ給う事千度(たび)に及ぶとも、キリスト汝(な)が心のうちに生(あ)れ給わずば、汝(な)がたましいは、なお打ち捨てられてあり」とうたっています。
 愛の神、全知全能の神は卑しいはしためマリヤにも心を留め、彼女を選び召し、その胎を用いて全人類のメシヤを生まれさせ給いました。ナザレ(ルカ二・四)の一寒村に住むマリヤとヨセフを主は起用なさったのです。彼ら二人は王位にある者、又、高位、高官ではありませんでした。しかし神は心低き彼らの中にキリストを宿らせなさいました。主の憐れみの大きさにただ打ち震えるものです。
 日本のキリスト教会は比較的小さく、弱い教会が多いと思われます。数少ない信仰者によって教会は保たれています。でも大丈夫です。主はこれらの群れにご自分の目をしっかり留めて見守っていて下さるからです。そしてさらに用いていて下さるのです。