12月7日

 「とこしえの光がさしこみ、この世に新しい輝きを与えて下さいます。」これはルターの言葉です。主イエス・キリストは、「わたしは、世の光です」(ヨハネ八・一二)と自己紹介をしておられます。ちなみに「光」という語は、ヨハネ福音書の中に二三回も用いられています。そして一二章までにそのすべてが出てきます。
 この光なるイエスは二千年前ユダヤの地に降誕された時から、今日迄この世の闇の中に光輝を放っておられます。「光はやみの中に輝いている。」(ヨハネ一・五)いつの時代も人間世界は問題が一杯であり、罪悪も世に満ち、悲しみ苦しみも私達を捉えて止みません。
 しかし、こうした状態が世界歴史の現状であってみれば、いつの時代にも「とこしえの光なる主イエス」を私達は必要とする訳です。光は当然ながら暗き中でその本質を発揮致します。人間一人ひとりの本性は暗闇です。その心の中に差し込んで下さるイエスの光に照らしだされて初めて人は、自らの暗黒を知って悔い改めに導かれます。
 現代世俗社会がどれ程暗きに包まれていましょうとも、私達は光なるイエスと共に歩んで、自らキリストの光を反映、反射する「光の子どもらしく」(エペソ五・八)ありたいと思います。光源をイエス様に求めましょう。そしてとても大事な事は、このイエスの光は現在、今もなお私たちの間で輝いているという事です。