12月3日

 キリストの母マリヤは信仰篤き女性でありました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ一・三八)と天使に答えました。ご聖霊によって妊娠した彼女は多くの誤解と世間の白眼視の中で、よく耐えて遂にメシヤたる主イエスを出産し、母となりました。
 けれどもシメオンが言ったように「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう」(ルカ二・三五)の言葉がそのまま十字架上で成就しました。出産直後にエジプトへ夫と共に逃亡しなければならなかった母マリヤ。公生涯三年半のわが子イエスを見守るマリヤは決して楽なものではありませんでした。常にイエスは、律法学者、パリサイ人達からつけ狙われて危険な立場に立っていたからです。
 けれども彼女はみ言葉を聞いて実行した女であり、さんびする母マリヤ(ルカ一・四六)であり、祈る母(使徒一・一四)でもありました。御子イエスを産むため用いられたマリヤは、反面若きわが子を十字架上で失わねばならない悲しみの母でもありました。でもやはり彼女は祝福された母(ルカ一・四二)であったことに間違いはありません。
 人類最初の母エバは(創世記三・二〇)神の命令に背いて罪を犯し死に至る存在となりました。その子孫であるイエスの母マリヤも、また救われねばならない罪人の一人であることを知りましょう。