12月28日

 マリヤとヨセフは幼子イエスを抱いてエルサレムに宮詣でをし、旧約に定められたとおりの犠牲をささげました。それは神殿では日ごとに見なれた風景で、別に珍しい出来ではありませんでした。誰もこの幼子が自分の罪のために十字架を負う救い主とは思いませんでした。
 けれどもここに敬虚な信仰深いシメオンという老人がいました(ルカニ・二五)。彼は長年イスラエルの救いを待望し、祈り続けてきた人物です。またもう一人のアンナとよぶ八四歳になる女預言者もいました(ルカ二・三六~三八)。彼女も全ての人々に赤子イエスのことを語ったのです。
 さてシメオンは幼子を腕に抱き神を賛美してこう歌いました。「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」(ルカ二・二九~三〇)
 何という大きな確信でしょう。あの幼子が他でもない、私自身の救い主として、今ここにおられるのだ、その方が万民の前に備えられた光だと彼は受けとめ、主を崇めているわけです。現代の私たちもイエス様を自分の心の中にしっかりと信仰をもって受けとめ、再び来たりたもうお方として、彼らのように待望していきたいと思います。シメオンの賛歌を読みましょう。