12月20日

 クリスマスを迎えるに当って今一度学びたいのは「謙遜」という事です。主イエスを私達の心の中に迎えるには、やはりマリヤのごとく、「主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです」(ルカ一・四八)というべきではないでしょうか。
 マリヤは社会的には地位の低い女性でした。そんな名もない弱い無力な人間をもメシヤ、全世界の救い主の母として用いるべく選んで高くしておられる主なる神様です。決して彼女は特別偉い人間ではなかったのです。そのことをわきまえていたマリヤであればこそ冒頭の謙遜な言葉が出てきました。
 さらに東からきた博士たちのように「幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして…贈り物としてささげた」(マタイ二・一一)という態度がわたし達にも要求されるのではないでしょうか。主イエスを迎える態度はあくまでも「謙遜」第一であります。すなわち心貧しくへり下った心の状態です。
 私達の今朝の心はどうでしょうか。主を信じています、洗礼も受けています、聖霊の恵みにあずかっていますといいながら、私達の心の中には高ぶりの心は残っていないのか反省しなければなりません。キリスト御自身栄光に満ちた神の御子でありながら、馬小屋にまで低く降下くださいました。心貧しく謙遜な心をもって今年も私達個々人、自ら主イエスをわがうちに迎えたく願います。