12月2日

 バプテスマのヨハネの父、ザカリヤは主なる神を賛美しつつ今始まろうとしている新しい救い主イエスの時代の到来を告げようとしています。イスラエルの神は決して怒り、裁き、のろう神ではなく、ご自分の民を心から愛し、これに目を留め顧みて、贖い救い給う憐れみ深い神であることを彼はほめたたえております。
 贖う(あがなう)とは神のみ子主イエス・キリスト様が犠牲になって、私たち罪ある人間の罪が赦されることを意味します。赦罪されることは救われること、救われるとは敵なる悪魔から救い出されること、全て私たちを「憎む者の手からの救い」(詩篇一〇六・一〇、ルカ一・七一、七四、七五)解放されることです。「敵」からの解放は元来政治的意味合いをもっていたのでしょうが、すなわちローマ帝国からの救い、解放でしょうが、ルカは、「罪の赦しによる救い」(ルカ一・七七)がイエスの到来によって成就することを告白します。
 そしてこれらの約束は、アブラハム、ダビデにもすでに語られ、約束されたことの成就であって長年、神がご計画されていたことであります。誠にこれはわたしたちの神の深い憐れみによることを心より感謝しようではありませんか。そしてこの救いと解放とは現代において救われた私たちが「生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕える」(ルカ一・七四、七五)クリスチャン生活を送ることだというのです。