12月19日

 キリスト降誕時の羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう」(ルカニ・一五)と言って、急いで行って「赤ちゃんイエス」を探し当て、神のみどり子を見たのです。
 さて飼い葉桶の中に救い主イエスを見出す心とは、どういう心でしょうか。それはただ貧しい心、低い心であります。天使がこれらの無学な羊飼いたちに現れ、メシヤ誕生の良き知らせを告げたのも決して彼らが立派だ、偉人だ、英雄だからではありませんでした。ただただ低くへりくだる心、威張らない心、即ち、心の貧しい人たち(マタイ五・三)だったからです。
 謙遜は人間が神の前において取るべき基本的な態度、正しい心の持ち方です。イエスの教えの中にも、謙遜の必要を説いたものが数多く見られます。「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(ルカ一四・一一、一八・一四、マタイ二三・一二)神の判断と人の判断とはちょうど逆です。
 しかし、謙遜は卑屈な心とは違います。神の存在を認める心、神に従う心、主なるイエスを愛する心でもあります。羊飼い達は一人の赤子イエスの中に、神のご性質を認め、このみどり子との出会いを心から喜んだのです。そして人々にこの子供の誕生と出会いの出来事を語り伝えたのです。低き心をもってクリスマスを迎えましょう。