12月18日

 「この方(キリスト)はご自分のくにに(所に)来られたのに、ご自分の民は(彼を)受け入れなかった。」(ヨハネ一・一一)これがクリスマスの現実の一面です。勿論、東方の博士達、野に羊を飼う牧人達など一群の降誕にまつわる彼を受け入れた人々もいますが、今日の時代と同様、昔もやはり大多数の人間はキリストを拒否し、特にそのメシヤ性を認めなかったのです。パウロでも最初はイエスを拒否していた者です。しかし、主の御霊に捕えられ変えられました。
 イエス降誕時に受け入れなかった典型的な人物にへロデ大王がいます。彼に代表されるようにこの社会は、クリスマスという言葉は口にしてもキリストを知らないのです。無知は不信仰につながる。不信仰なればこそ遂に主イエスは十字架にまで追いやられました。
 当時の拒絶者はユダヤ人でありましたが、現今の日本人の九九%も又同じ状況にあります。残念な事です。真の霊的生みの親、育ての親を知らない日本人の荒廃せる心は、子供の世界にも及んで、遂にいじめの事件で中学校でも自殺者が出ています。その他ピストル事件、強盗事件も続発している危険な時代です。キリストを拒絶する事の当然の報いと言わねばなりません。こうした終末時代にこそむしろ救い主、イエスを受容する民の続出を願って祈りたいものです。