12月16日

 イエスの父ヨセフは「正しい人」(マタイ一・一九)でありましたが、人間ヨセフとして婚約中の間柄でありながら身重になったマリヤと「ひそかに縁を切ろうと決心した」(新共同訳)というのです。
 姦淫の罪は当時としては死刑に価しました。そのような重罪を犯した女性といつまでも関係をもっている訳にはいかないと、考えたのでしょうか。相手を信じていただけにどれ程のショックだったでしょうか。まさに震天動地の出来事に遭遇したヨセフでした。彼の苦悩、当惑はいかばかりであったでしょうか。
 けれどもその苦しみと戸惑いはヨセフだけでなく、マリヤにとっても同じか、いやそれ以上の大きな葛藤が生じたと十分想像できます。身に覚えの全くないこと。身振いするような非常事態にマリヤは深い悲しみに沈んでいったと思われます。
 だが両人の心の戦いは一掃されていきました。天の使いの告知です。妊娠は「聖霊による」(マタイ一・二〇)ものだと。急転直下、事件は恵み、歓喜へと変えられていきました。全ては主が預言者を通して云われた事が成就するためでありました(マタイ一・二二)。
 主に用いられていったマリヤとヨセフも彼らなりの十字架を負わねばならなかったのです。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マルコ八・三四)