11月6日

 エゼキエルに主の言葉がありました。「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」(エゼキエル三・一七)
 見張り人の役目は、町の城壁の上の見張り所に立って、いつも周囲に注意を払い、外敵の襲来があればいち早く町の住民に知らせる事です。主がエゼキエルを見張り人とされたということは、彼に霊的な意味でそのような役目を与えられたということです。
 つまり主が御言葉によって民の霊的危機を告げられたならば、主に代わって民に警告するという役目でありました。これこそ預言者の一番大事な任務であったのです。霊的見張り人である預言者の責任は重く大きいのです。それは民が生きるか死ぬかの運命がかかっているからです。ですから、見張り人即ち預言者がその役目を怠った場合には、その責任が追求されなければなりません。ですから預言者は神の命令されたとおりに言わなければなりません。その義務を果たさなければなりません。もし警告を与えなければその血の責任をあなたに問うと同書三章十八節で仰せられます。しかし見張り人が警告してもその人が聞かなければその本人が滅びることは致し方ないのです。彼らが聞かなければその罪のために死ぬが、あなたは救われる(同三・一九)と記されています。