11月4日

 アダムはエデンの園で神とともにいるとき、彼の中に罪意識はありませんでした。しかし神から離れて、神のご命令「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(創世記二・一七)に従わなかった時、彼の中に罪意識が生じました。神との係わり合いから離れたとき、人は肉にとどまり、その結果パウロが書き並べたように、「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興」(ガラテヤ五・一九~二一)、その他私たちが通常罪といっているものが、心の問題として現れてきます。しかし、私たちが神との係わりの中にいるとき、それは、人との係わりの中で、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」などの結果(実)として現れてきます(同五・二二、二三)。
 神との係わり、人と人との係わりの源泉は愛です。愛は神からのすばらしいプレゼントです。また、自分が愛され、愛される存在であることを教えて下さったのは主イエス・キリストです。このことを実際に行なっていく人の集まりが教会ではないでしょうか。そこには基本的な信頼関係があって、人々が親密で、喜び、悲しみ、痛みなど人間の生の全領域の問題を互いに分かち合える場所とならねばなりません。その中にイエス・キリストが共にいて下さって皆を支えてくださるのです。何と言う恵みでありましょうか。