11月29日

 聖書は全人類に対し、特にクリスチャンに対して「待ち受けている人たちのようでありなさい。…人の子は、思いがけない時に来るのですから」(ルカ一二・三六、四〇)と再臨の主イエスを待望する姿勢をとっておれ、警告しています。信仰者は、イエス・キリストの栄光の出現を待ち望んでいる者たちです(テトス二・一三、第一ぺテロ四・一三、マルコ一三・二六)。そして終わりの日に神は「私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ三・二一)このような終末的待望の生活こそキリスト者の特徴ある生き方と言わねばなりません。
 わたしたち信仰者はいわば「待ち望む民」であります。主の再びのお出でを待ちこがれつつ、この世にあって真剣に主の証し人として進む者です。それがたとい苦難の中にあっても「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないもの」(ローマ八・一八)と告白しつつ、神のみ国においての栄光の保証を確信しながら、終末への期待を持ちつつ、とにかく今か今かと待ちながら天国にむかって行く旅人であります。これらの再臨の主への待望、永遠の生命への期待、聖霊の内住の祈願は、いずれもキリストの受肉の事実によって裏書きされているのです。目をさまして主のご命令に正しく従いつつ、主の再臨を待ちましょう。