11月27日

 ヨハネ福音書一・一~一八の序文は、特に神学的序文と名付けられ、もっとも短いイエス伝と呼ばれる九節から一二節を内に含みつつ、この福音書がイエス ・キリストの生涯を、どのような視点から描こうとしているかを、あらかじめ示す為に重要な序文であります。それは丁度交響曲の主題が主旋律を前奏部分で明らかにし、以下の楽章において多様な変奏(バリエーション)を加えて組み立ててゆくのに似ています。
 そしてその主題は、ことばは神であった(一節)、ことばは肉体となって、私たちの間に宿られた(一四節)、それが父の懐にいますひとり子である神イエスであり、このかたが神を示された(一八節)という三段論法によって明確にされています。
 つまり、ことば=神、ことば=イエス、よってイエス=神という三段論法なのです。イエスは地上生涯においては神のひとり子であると同時に、「神」そのものとしてのご性質をもって活動されました。復活のイエスに対し、トマスは「私の主、私の神」と言っています(同二〇・二八)。そして、「すべてのもの(万物)は、この方によって造られた(成った)」 (同一・三)と、著者ヨハネは告げています。すなわち万物は、イエス・キリストにおいて示されている神によって創造されたのです。すなわち、イエスが万物の創造にも父なる神と共に関わっているというのです。