11月24日

 「義人は信仰によって生きる」(ローマ一・一七)。
 ここでの義人とは、イエスを信じて救われ正しいと認められたクリスチャンを指しています。新共同訳聖書では、「正しい者は信仰によって生きる」とあります。ローマ書は、人間はどのようにしたら救われるか、という大きな問題を取り扱っています。パウロははっきりと「信仰による義」ということを述べています。そこで彼は同書四章を通じてアブラハムの例をあげて、「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(三節)と、説明しています。ただ信じただけなのです。何か律法にかなう良い行いをしたとかいうのではありません。「もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。」(二節)不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められるのです(五節)。そしてさらに義とされるとは、単に正しい者と認められた(義認)というだけではなく、神との交わりが回復することも意味します。アダム・エバによって失われた神との関係が、イエス・キリストを信じることによって関係の回復が与えられる訳です。全く無関係だった者がすばらしい主なる神様とまた子なる救い主イエスと交流をもたせて頂けるとは何という特権でしょうか。ますます信仰 から信仰へと進んで参りましょう。