11月14日

 パウロはコロサイ書とエペソ書で、神の奥義が(コロサイニ・二)実現しつつあること、それは教会を通して救いをもたらす「キリストの奥義」(コロサイ四・一二、エペソ三・四)であることを示しています。この奥義は、世々隠されていた奥義(エペソ三・九、コロサイ一・二六)であり、「福音の奥義」(エペソ六・一九)とも呼ばれました。またこの奥義とは「神がみ子においてあらかじめお立てになったご計画」(エペソ一・九)のことで、「天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められること」(エペソ一・一〇)でした。
 さらには、「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのこと」(コロサイ一・二七)でもあります。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた」(第一テモテ三・一六)方で、このことは偉大な「敬度の奥義」(同上)なのです。そしてこの奥義、ミュステーリオンはイエスによって啓示された「神の国」を指しているとも言えます。パウロはこの奥義を実現した神のご計画を知らせ、宣べ伝えるつとめに召されたのです。なお奥義、秘儀は、神に関係している事柄について用いられ、その特質は、この世の人には隠れていて知る事ができない事と、それを知る為には神の側からの啓示が必要であることです。