11月13日

 イエス様は、旧約の大祭司制度がなし得なかったことを成就されました。それは、わたしたちを主なる神に近づかせることでありました。ではどうしてそれを成就したのでありましょうか。逆にこの両者を近づかせない、さえぎる原因は何でありましょうか。それは二つあります。
 第一は恐怖心です。人が神を恐れている間は、神のもとでくつろぐことは出来ません。日本の諺にも「さわらぬ神にたたりなし」とあります。この言葉は、日本人の神観念の中にひそんでいる恐怖感を表しています。ところがイエスがこの世に誕生なさった目的は、父なる神の無限の愛を示すためでありました。その愛を知った時に人間の恐怖はとり去られます。神は私たちを罰するのでなく、両手を広げて迎え入れようとしておられます。そして私たちが神に帰ることこそが、神の唯一の願いなのです。
 第二は罪です。イエスは十字架の上で人間の罪をつぐなうためにご自分によって完全な犠牲をささげられました(ヘブル九・二六~二八)。ですから罪責感に怯えることなく今やそのことへの恐怖は消え去り、罪は克服され、神への道がすべての人に向かって開かれたのです。「(キリストは)ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。」(ヘブル七・二五)ハレルヤ。