11月10日

 わたしたちが霊的に成長していくためには、どうしてもキリスト様がわたしたちの心に住んで下さらなければなりません。ところでイエスはいつ、どのようにして、わたしたちの内に住んで下さるのでしょうか。それは私たちが信仰によってイエスを心の中に受け入れた時です。そのために当然ながら人は自らの心の扉を開かねばなりません。この心のドアーを開くのが信仰なのです。「心」と訳されている言葉は、知、情、意の全人格の座としての心をあらわしております。ですからイエスが私たちのこころの王座を占めて下さるとき、その感情は清められ、知性は啓発され、意志は制御されます。ところが私たちが内住の御霊に頼ることなく、神を意識する事無くただ自分だけで何かをしようとすれば、必ず失敗します。それは生まれながらの古い人は神の栄光よりも自分の得になることを、優先させようとするからです。
 けれどもイエスの御霊が住んでくださり私たちの全人格を支配して、強め、かつ清めてくださればわたしたちは勝利であり、信仰的にも成長してまいります。
 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたし(イエス・キリスト)の声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録三・二〇)。