11月1日

 パウロの祈りは父なる神にささげられています。パウロが神を「父」と呼んでその父性について述べています。
 一、神はイエスの父です(エペソ一・三、一七、六・二三)。キリスト教の神観は、神がイエスと同様な神であり、イエスがそうであられたように寛大で愛情に満ち、憐れみに富んだお方だということです。父のイメージは何となく厳格さが先立ちますが、ただ厳しい、恐い、近づきがたい存在ではありません。
 二、神は私たちがほめたたえるべき父です。賛美される神です(同一・六、一二、一四)。
 三、神は栄光の父(同一・一二、一四)であり、力をもって信徒の内なる人(イエス・キリストへの信仰)を強くしてくださる方です(同三・一六)。
 四、父なる神に感謝しなさい(同五・二〇)とあるように、信者たちから感謝を受けられる神です。
 五、父なる神は私たちがみもとに近づくことのできる神です。(同二・一八、三・一二)。しかし昔ユダヤ人が神殿で礼拝をする際、至聖所は神の住まう所であり、大祭司だけが一年に一回、贖罪の日にのみ入ることが許される場所でありました。このようにいわば神に至る道は閉ざされていたのです。しかし今はイエスにあって大胆に確信をもって近づくことができるのです(同三・一二)。
 福音書では、天の父は公平な神、完全な神(マタイ五・四五、四八)です。