10月8日

 新約聖書マタイ一三・四四にこんなことが書いてあります。「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います」と。
 教会の中に、聖書の中に、イエス様の中にそのようなすばらしい高価な宝があるなどとこの世の中の何人が知っているでしょうか。ほとんどの人が無知なためこの天国という宝を手に入れようとはしません。知らないこと、いや知ろうとしないことほど大損することはありません。けれどもクリスチャンたちはこの「天の御国」という財産をただで(マタイ一〇・八)、しかも信じるだけで手に入れたのですから、これほどの大儲けはどこにもありません。
 上記の小作人は全財産 を処分したあと、正式にその畑を買収し、ゆっくり掘り返して地中の宝を自分の所有としたのです。ただ、無料といえば福音もまったく無料です。福音の中心人物、イエス・キリストをわたしの救い主とするのもやはりお金は不要です。実在の神の御子を信じて得をしましょう。
 隠されている宝。それは私たち自身の中にも潜在能力として秘められているのです。火事場の馬鹿力と言いますが、いざとなると人間は今迄自分にもわからなかった力が発揮されるものです。これ迄できないと思っていたのにやってみたら案外できた、ということに気づかせられるものです。可能性を秘めた自己像の発見に努めましょう。