10月6日

 聖書に登場している神は「ご自身を隠す神」です(イザヤ四五・一五)。神だ、イエス様だといっても今日私達の目の前に姿を現わしておられる方ではありません。ただ私達は唯一、「聖書」を通じて語られている、父、子、聖霊なる三位一体の神は偽りなく、わが側にいて下さる、我と共に居たもうと「信じて」いる信仰によるのです。
 ですからある人は自分の思い込みだ、一方通行的片惚れだ、相手は実在するかどうか不明だと疑うのです。そうです、疑いだせば際限がありません。そこでです。一度聖書の神は存在、実在する、生きておられる神だ、救い主だと信じて頼ってみるわけです。
 この時点では冒険をすること、一種の賭け、ギャンブルをすることになります。でもこの冒険、ギャンブルは絶対損をするものではありません。不可視的神に信頼して、祈ってみる。「父なる神よ。汝の生ける神たることを我に知らしめ給え。わが不信仰を許し、我に汝のみ子イエス・キリストの救い主たることを示し給え。我、汝に寄り頼まん。主イエス・キリストの聖名(みな)で祈ります。アーメン」と口にだしてみるのです。きっと神はあなたの願いを聞いて下さるでしょう。
 万物の創造者、真の神様を信じ、頼り、祈り、この方の実在を体験致しましよう。「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。」(ヤコブ一・六)信じることは素晴らしい事です。