10月29日

 宗教改革者マルチン・ルターは一五一一年から翌一二年にかけていわゆる「塔の体験」を持ちました。この名称は彼が後年、ヴィッテンベルグ大学の学生寮の一角にある塔の中で、他の説では、修道院の塔にある自室で新しい福音理解の光が主の塔の中で与えられたと語ったところに基づいています。
 その新しい福音理解とは何でしょうか。死の問題を契機として修道院に入って以来、この時期に至る八年間の精神生活においての最大問題は、自己の宗教生活が純粋なものであるか、という反省でありました。
 しかしながら自らの不純性こそ罪であることを認識せざるを得なくなった時、この罪を(キリストへの不徹底な愛しかもち得ない罪を)赦すものこそ、神の愛、キリストの愛であり、かつ彼が義とされるのは「信仰のみ」(ソラ・フイデ)、「聖書のみ」(ソラ・スクリプテュラ)であって他の方法によってではない、ということこそ新しい福音理解でした。そして又この主張こそ宗教改革が一五一七年一〇月三一日、ルターによって始まった原因でもありました。善行(免罪符購入)による救いではなく、ただ信仰による救いなのです。
 「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。…『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ一・一六~一七)