10月24日

 「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」(マタイ六・六)
 祈りはどこまでも神と私との間の出来事です。その間には誰も入ることは許されません。ですから祈りはある一面隠れようとするものです。自分の部屋に入り、戸を閉じて神と対話しようと、また、相まみえようとします。人の目から隠れなければ神に会うことはできないからです。なぜなら神は、隠れたところにおられる神だからです。人から隠れるだけ、神は一層現れてくださると言ったらおかしいでしょうか。
 もちろん合同で複数の人たちと共に祈る場合もあります。けれども祈りの姿には、イエスが言われたように密室での自分だけの祈りがあります。むしろこちらの方が多いのではないかと思われます。
 祈りの相手はもちろん主なる神です。人ではありません。この方と対座し交わり。じっくりとこの方に聞いていただくことをして物事の解決を計っていくわけです。全能者との対面の場があるという事はなんという幸せ、また特権でしょうか。クリスチャンであることをしみじみと感謝いたします。信仰を持って主イエスの聖名で祈りましょう。形式的ではなく心のこもった熱心な祈りを、また真実な祈りをささげましょう。イエスも孤独になって祈られました。