10月23日

 「その町にひとりの罪深い女がいて」(ルカ七・三七)という一人の女性は、ベタニアに住むマルタの妹マリヤだという説もあります。
 彼女はルカ福音書一〇章三八~四二でも非常識と思われる振る舞いのため、姉の非難を受けますが、主イエスより「無くてはならぬ一つのもの」を選びとった者として評価されたように、ヨハネ福音書一二章一~八でも、非常に高価なかぐわしいヒマラヤ杉の根からとつた香料(それは男子三百日の労賃にあたる)を惜しむことなく、自分の髪の毛でイエスの足を拭ってキリストに称賛されたのです。ほとんど一年分の総収入に匹敵する高価な物でした。
 ユダを始めとしていつも計算ばかりしている者たちにとっては「もったいない…」という言葉しかありません。けれども、この行為は浪費ではありません。激情的とも言えるこの女の振る舞いを通して、私たちは主イエスを心から愛する、という事がどういう事かを学ばねばなりません。主イエスに罪赦された女は最高の物を手離しても何ら惜しくはなかったのです。それ程に女はイエスに感謝し、イエスを愛したのです。
 マリヤはイエスに全幅の信仰を、また心からの信仰告白をイエスに実際をもって表わしました。現代のクリスチャンもこのマリヤの愛と信仰的態度に見習いたいと思います。