10月20日

 「主の山の上には備えがある」(創世記二二・一四)のこの一語は、昔から多くのキリスト者を励ましてきました。とりわけ伝道の第一線に出る開拓伝道者、何らの資金もなく、バックもなく、経歴も無い者が、ただ信仰だけで世に出る事は誠に冒険です。しかし、この一句をただ頼りとして出発するのです。そして実際に船出してみると風波は想像以上に激しく、いよいよダメかと思われる所までいったとき、アドナイ・イルエ、主の山に備えあり、の事実を体験して主の聖名を崇めるのです。
 けれども伝道者にかぎりません。信徒諸兄姉も神のほか誰をも恐れることなく、真面目に正しく生きようとするとき、様々な問題にぶつかり、この世は正論だけでは生きられないかのように感じます。けれども正義の神、備え給う神、全知全能の神を信じて、信仰の勇者達は正直の道を突き進むのです。たとえ損をしても、不利益をこうむっても主なる神を信じて行った正しい行為には、ヤハウエ(神)は必ず報いて下さいます。恐れずして主の証人たる道を歩み続けていただきたいと思います。
 「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ四・一九)とにかくアブラハムは全ての打算をのりこえて、徹底して主に服従し続けました。