10月17日

 一九一三年(大正二年)八月一一日、客船天津丸は一三日間の旅を終えて日本の横浜港に停泊しました。実はこの船こそ日本アッセンブリー教団草分けの宣教師、ドイツ系アメリカ人カール・フレデリック・ジュルゲンセン夫妻(五一才、四五才)とその子供マリヤ(一一才)、アグネス(八才)の四人家族が乗っていた船だったのです。
 来日前の同夫妻はアメリ力、オハイオ州クリーブランドで事業を営んでいましたが、聖霊のバプテスマを受け、日本宣教の召命を神より聞いて後、全財産処分の末、主なる神の御手に導かれて、全くの未知なる日本に上陸したのです。片言の日本語すら知らない同師がまず落着いた最初の場所は東京・本郷東大前付近でした。伝道館に改造した日本家屋で宣教活動が始まり、伝道圏は更に翌年小石川に、次の年には本郷上富士前にと広げられていきました。
 通訳も備えられましたが、時には父ジュルゲンセン師の英語の説教の通訳を当時まだ小学校六年生だったマリヤが(一九九一年一二月八日、八九才にてアメリカで召天す)引き受けた事も少なくありませんでした。このような教団発足の原点を忘れることなく、さらに伝道に邁進してゆきたいものです。
 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ一六・一五)