10月15日

 旧約の大祭司は「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです」(ヘブル五・二)。ですから、私たちも牢につながれている人、また苦しめられている人たちを「思いやりなさい」と同書一三・三には記されております。思いやるとは、顧みる、同情して推し量る、自分の身に比べて人の身について思うことです。
 パウロは信仰の弱い人たちをつまずかせない思いやりから、偶像に捧げた食物を食べないとも申しました。力ある者は、弱者の弱さを担うべきだ、とも口ーマ一五・一で述べております。弱い者の為にはいつでも己を砕いて、右にも左にも舵とりができる融通をきかすことのできたパウロでした。ありとあらゆる境遇に処する秘訣を心得ていたパウ口でした(ピリピ四・一一~一三)。
 ひどい悩みに苦しんでいる人、困難と戦っている人、親、子ども、兄弟、親しい人などを亡くして悲しんでいる人、災難にあった人、良心の呵責にうめいている人、罪を悔いている人、病気、病弱の人など様々な人たちへの対応を適切にしていきたいものです。特に聖書の御言葉を引用して神のお力を頂くようにしましょう。私たちも教会、家庭、職場、近隣などで接触する様々な人々に対して「思いやり」のある行動をとって良き証しを立てて参りましょう。今自分にできる小さなことから始めましよう。