10月11日

 初代教会のパウロは自分のことを「キリスト・イエスの囚人」だ、また「あなたがた異邦人のために」このように捕われの身となったと自己紹介しながら大切なことを語ろうとしています(エペソ三・一以下)。それは旧約の時代には隠されていた「奥義」を知らせようという訳です。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」(同六節)この聖句でも分かるように、その内容は、永遠的、終末論的です。日本人も当然の事ながら異邦人の部類に属します。
 エペソ二・一以下で、キリストを知らない、信じない異邦人がどのように惨めな者かを色々と語ってきたパウロです。しかし、その異邦人が今やイエス・キリストによって大きな恵みにあずかっていることを自覚するよう促しています。このように聖霊によって啓示され、知らされ、明らかにされた奥義(エペソ三・三)ですから、イエス・キリストの救いの恵みにあずかり天国の相続人とならねばなりません。なお、福音書では、種まきの譬えとその解釈についてのイエスの言葉があるだけです(マルコ四・一一、マタイ一三・一一)。
 その恵みの原動力ともいうべき「福音に仕える者とされました」ともパウロは言っております(エペソ三・七)。