10月1日

 人生には様々な危機が訪れます。男女、年齢の差を超えて色々な形でその人なりの危機がやって参ります。新約聖書にも、ぶどう酒がなくなった、舟が大暴風で沈みそうになった、子供があるいはしゅうとめが病気になった、地震が起こった等の危い、恐ろしい困ったことなどが起きています。
 こうした時に人は最悪の場合、「自殺」を考えます。使徒の働き一六・二七の看守は責任を全うできない故に自殺志向でした。マタイ福音書のユダは遂にキリストを裏切って、また第二サムエル一七・二三のアヒトフェルはダビデにそむいて、それぞれ自ら首をくくり死んでいます。
 旧約聖書のヨブも第三章を読むと死を待ち望んでいます。ヨナ書のヨナは自分の思うように成らなかった時、不愉快になり怒って、ヨナ四・三で「主】よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから」と言います。伝道者の書の著者も同様です。伝道二・一七で「私は生きていることを憎んだ。日の下で行われるわざは、私にとってはわざわいだ。すべてはむなしく…」と。
 キリスト様もユダヤ人たちから、「あの人は…自殺するつもりなのか」(ヨハネ八・二二)と誤解された程に、人間は危機に弱い訳です。所が、ここに救い主、助け主、イエス・キリストが登場して手を差し伸べて下さるのです。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」(マタイ一四・二七)と。