9月30日

 進化論は一九世紀の籠児であり、人間の無限の進歩を説く楽天思想は、なかなか魅力あるものであって、今なおこの思想を信じる者も少くありません。
 確かに人間の文化や生活様式などには多くの進化、進歩があったのかもしれません。けれども少なくとも人間の本質―道徳的本質―には少しの進歩も発展もなかったのです。この点においてはむしろ退歩であって、もし進化という言葉を許すならば、むしろ罪からの進化でなくて、罪への進化であります。これは戦争ひとつ取り七げても明白のように、時の経過と共に戦争は残忍なもの、悪魔的なものになって来ています。
 しかしそうは言っても人間の特に科学的知識の偉大な進歩はある意味で人間にこれまでに見なかった幸福を提供するに至っています。けれども反面において核兵器や、放射能のために、人類はいま滅亡の危機にさらされています。進化どころか、この面においては大いなる退歩ではないでしょうか。まさに野蛮人以上の野蛮人であります。
 ここにアダムとエバによってもたらされた人間の原罪の深刻さを思わしめられます。しかし、この原罪をゆるし、救うものこそ十字架と復活のイエスであります。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(ヨハネ第一の手紙一・七)「キリストは…ご自分の血によって…永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブル九・一一~一二)。