9月29日

 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(第二コリント四・一六)。
 外なる人は衰えても、とは肉体・気力・根気などの衰えをさすのでしょう。パウロは同じ現実を違った表現でも述べています。土の器(第二コリント四・七)、死ぬべき肉体(同上一一節)、地上の幕屋(同上五・一)がこわれても、などです。この状況はクリスチャン、ノンクリスチャンの区別はないのです。平等に訪れる状況です。
 けれどもキリスト者はパウロと共に、聖書信仰、キリスト信仰に生きている故に、内なる人、内なる魂はいつも新鮮さを保持していけるというのです。この状態をパウロは更に「新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです」(コロサイ三・九~一〇)とも述べています。
 人は老いを避けることはできません。けれども、老いても年令に左右されず、いつも主の命令に従い、主の御霊によって新鮮さを保ち、新しい生命に生かされて老いとの戦いに勝利していくのです。旧約聖書にもアブラム七五才、モーセ八〇才、アロン八三才、カレブ八五才でみな新使命を帯びて再出発しています。壮年・熟年層のみなさん再び奮起してください。