9月28日

 神の国の用語はマルコ福音書に一四回、ルカ福音書に三二回出てきます。マタイ福音書では同じ意味ではありますが「天国」の語で三二回、神の国は四回用いられています。
 そのほかの呼び方でダビデの国、わが国、父の国、国などがあります。神の国は一切の人間的支配をこえた神自らの統治であって、人間文化からもり上がって達成される歴史的進歩の世界ではないのです。神よりの恵みとして与えられる彼岸的終末的世界でもあります。
 しかしながら、他面、神の国がキリスト再臨後に現われる終末性を帯びたものだけではなく、人間歴史の中にイエスを通じてすでに与えられている現在のものであることを、深く認識せねばなりません。ルカ一七・二〇~二一、マタイ一二・二八、一一・五、一二、一三・一六~一七などを見ると、イエスの到来においてサタンの力は砕かれ、「神の国」はすでに今ここに在ることが示されております。ですから、激しく攻め奪い取る程の熱意を示す者が、これを自分のものとしているのです(マタイ一一・一二)。
 真の神の御国は自然に与えられるものではなく、自ら懸命に求めていく情熱も大変必要であることが分かります。聖書を読むのも、お祈りするのも、教会の諸集会に参加するのも、みな何とかして神の国を獲得しようという欲求の現れにほかなりません。