9月24日

 使徒の働き第四章に登場しているペテロとヨハネは聖霊に満たされて説教していました。ところが指導者層の長老、学者、大祭司たちは彼らが無学な普通の人であることを知って驚いた(同上一三節)のです。
 ペテロは御霊によって確信をもって語ったのです。「この方以外には、だれによっても救いはありません」(同上一二節)と。伝道の業は確かに正しい知識を持って語らねばなりませんが、必ずしもこの世の学問、学識がなければ語れない、といったものではありません。救われた確信と聖書に基づいた知識と知恵が与えられていれば〇Kなのです。
 福音宣教はどこ迄もイエスの救い、神の御独り子キリストにおける永遠の命であることを示せば良いのではありませんか。聖書から脱線して見当違いの事を語らなければ誰でもイエスの素晴らしさを伝えられるのです。とにかくイエス・キリストだけをもっと大胆に語ろうではありませんか。物事を恐れずして前向きにキリストを伝えていこうではありませんか。
 聖書全般についてあれこれ語るまえに、まずイエス・キリスト様について特にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書からお話をして、個人伝道に打ち込みたいと思います。なお、少しむずかしく言えばイエスの神性、人の子性、贖罪性(メシヤ性)、無罪性、祭司性、王権性、永遠性などにも及んでいければ幸いと思います。