9月20日

 キリストは教会のかしらであり、教会はその体です。キリストは「教会のためにご自身をささげられた」(エペソ五・二五)のです。即ち、キリスト教会が世の中の異教の教会と違うところは、神の御子イエスが教会の頭であり、土台であること、そして十字架の犠牲を払っていて下さる一点です。
 キリスト教会が愛の教会と呼ばれるのは、単に信者同志が互いに仲良くしているからそのように呼ぶのではなく、まずキリストが私たちをこよなく愛してくださる故に、すなわちカルバリの丘の十字架上で貴い血を流して下さったからなのです。
 換言すれば神の愛・十字架愛を基礎、土台としてその上に建てられているエクレーシア、教会がキリスト教会といえます。そしてこの教会から私たちは、生きる力、生きる目的、生きる原理原則を与えられて正しく前進できるのです。そしてこのキリストの教会において主を礼拝し、み言葉を聞き、共に生きる信者、求道者方と神を賛美し、交わり、奉仕してキリストに喜ばれる者となって参ります。
 新約聖書エペソ書は、教会論を展開しています。主の教会はどのようなものか、どうあるべきかなどを教えていてくれます。いずれにしてもキリストは万事を全面的に満たす、そして完成成就することができる方なのです。充満(プレローマ)させて下さるこの方に全てをゆだねて勝利して参りましよう。