9月2日

 パウロは非キリスト者がクリスチャンになったことを、「新しく造られた者」といっています(第二コリント五・一七~一八)。これはイエスを信じて救われたもの、 罪を赦された者、新生した者を指しています。キリスト様を抜きにして自分の努力によって新しくなったものではありません。どんな人間もキリストを謙遜に受けいれるなら、キリストと強いきずなで結び合わされ、色々な祝福にあずかることができるのです(ローマ五・一~五)。
 キリストにある者が、どうして〈新しく造られた者〉と、言うのでしょうか。生来のままですと、私たちはキリスト様とはなんのつながりもない訳です。これでは創造主の恵みは頂けません。しかし、ただ信じたというだけで、その人は新創造されたのです。ここにはどこまでもイエスの十字架上での犠牲が基礎、土台となっているのです。
 キリスト者といえども、外見はノン・クリスチャンの人たちと何も変わりません。けれども中身が変わったのです。いや変えて頂いたのです。キリスト様がわがうちに住んで下さるようになったのです。逆に言えば、私たちがキリストのうちにあるように造り変えられたのです。今やイエス・ キリストとは不可分離の関係が生じたのです。なんと言う素晴らしいことでしょう。とにもかくにも、ここにはキリストによる新創造が、神による一新が賜物として与えられました。宝の民とされたのです。