9月18日

 聖書的キリスト教とは何か。それは主イエス・キリストを信じ、聖書全体が伝える神観、キリスト観をもつキリスト教です。 三位一体の教理なども、全く聖書から聞いて初めて与えられた神観なのです。哲学者プラトンやアリストテレスの教えが少しでも入ったならば三位一体の真理は得られませんでした。
 同じように、キリスト論についても、三二五年のニケア会議において「ホモウーシオス」か「ホモイウーシオス」か、ギリシャ語の文字イオタ(ι)一文字をめぐって厳密なミクロの戦いだったのです。それはどちらがより聖書的かの論争で「ホモウーシオス」に確定しました。即ち父なる神は、子であるイエスと同類でないが、しかしその本質において同質であると決定したのです。
 その後、五世紀に制定された「アタナシオス信条」の中で、次のようにまとめられています。「我らが一つなる神を三位において、三位を一体において礼拝することである。しかも位格を混同することなく、本質を分離することなく」と。
 三位一体を否定するユニテリアンというグループの影響を受けたかつての大正時代の日本作家、国木田独歩、北村透谷、島崎藤村なども一度は洗礼を受けながら、残念にも信仰を捨てるのです。正しい聖書観、神観、キリスト観等を身につけて現代の異端、ものみの塔、統一協会、モルモン教などに対決してゆかねばなりません。