9月15日

 ヘブル書第三章一~六にはイエス・キリストがモーセに優る理由を記しています。まず、モーセは家の一部分として家に属しているのに対し、キリストは家の建築士であること。第二にモーセは家の中にいる僕ですがキリストは御子として家の上にあつて治める方であるということです。
 著者はまずこの世界を神の家、また神の家族と考えています。この「家」には、建物、また神の家族の人々という二重の意味があります。ギリシャ語のオイコスにこの二重の意味があって、世界は神の家であると同時に神の家族なのです。
 著者は四節で神が世界の創造主であると宣言し、そしてこの「家」すなわち世界を治めるのはキリストだと六節で語ります。ところがモーセは、神の家の一部に過ぎません。この家の「しもべ」(同上五節)なのです。治める者と、仕える者との差異は明らかです。モーセは神によって造られた人間、そして神によって創造された世界、その家の中で働く一家族、一要員にすぎません。けれどもイエスは神のひとり子として忠実に神の家を治められるのです。
 たしかに忠実さにおいてはモーセもイエス様も同じでした(同上二~六節)。けれども冒頭の二つの事柄でモーセとキリス卜を比較する時に、明らかにイエス・キリストの優越性がわかるのです。