9月14日

 ルカ一五章には、パリサイ人および律法学者たちの批判的つぶやきに対してなされたイエスによる三つの例え話が並置されています。三~七節の<失われた羊の回復>、八~一〇節の<失われた銀貨の発見>、一一~三二節の<失われた息子の帰還>です。主題は喪失と回復と言ってよいでしょう。ここには失われた者に対する神の愛が、すでに、今ここにある喜びといっしょに示されています。イエス・キリストによって失われた罪人が取り戻される喜び。まさに「楽しんで喜ぶのは当然」(三二節)である現実が二一世紀の今日にも存在しているのです。
 けれどもこれを認めることができない自称義人がいるわけです。皮肉をもって言えば、彼らは医師を必要としない健康な人ともいえます。しかし、主イエスが来られたのは、そのような人を招くためではなく、罪人である病人を招く為でした(ルカ五・三一、三二)。そのような人たちがイエスの話を聞こうとして集まってきました。その彼らに例え話でご自分の意図を伝えようとされました。すなわち、神の前に失われている悔い改めを必要としている罪人を探しだして救い、天に喜びを、また、み使いにも喜びをあたえようというものです。一人の人間が救われるということは、それほどに楽しい、うれしい、喜びの大祝宴を開いて祝う事柄なのです(ルカ一五・二四節)。