9月13日

 《日々生命(いのち)新しくされて》
 老年は一般的に言って冬の情景に似て、全体に暗いものがあります。旧約の伝道者の書一二・一では、「わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に」と老齢を描写しています。確かに体力は衰え、髪は白くなり、足腰は弱くなりという訳で、一日の夕暮を思わせる淋しい状況であります。
 けれどもクリスチャン老人は、「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(第二コリント四・一六)のでそんなことで弱音を吐いておれません。なぜなら使命、任務が与えられているからです。祈ります、伝道します、証しします、お世話されるだけではなく、お世話もします、賛美します、また出来る仕事は積極的にしますなど、すべきことは山程あるのです。
 もちろん聖書は老眼鏡をかけつつも、懸命に読み味わってゆかねばなりません。喜んで負うべき重荷と十字架とは、年老いたとは言え減量されていません。故に、若いねーと言われつつ美しくクリスチャンは年老いてゆくのです。重荷も使命も働きもなくなればもう人生の終着点を迎えるより他ありません。日々ご聖霊によって「いのち」新しくされ、活き活きと笑顔をもって歩み、老いの暗いイメージを吹き飛ばして明るく進んでいこうではありませんか。