8月9日

 マルコ福音書九・三六~三七でイエスは子供を抱き上げて、「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです」と言っています。
 祝福を求めて子供達をイエスの元に連れてきた人々を制止する弟子達を戒めて、イエスは同書一〇・一六では子供達を抱き上げ祝福しておられます。ここに子供達へのイエスの愛が示されています。一五節では子供を模範とすることを教えておられます。
 当時のユダヤでは幼児から一二歳までをパイディオン(子供)と言いました。古代世界では子供は軽んじられました。子供は律法に無知であったからという理由もありました。しかしイエスは弱い者、小さい者をこそかばい、助け、愛してゆかれました。
 子供は全く他者に依存しなければ生きてゆけません。人間もすべて同じで全能の神に守って頂かねば自分ひとりで生存できると考えるのは大きな誤解、錯覚です。中世ルネッサンス以後、科学主義優先の時代に突入して以来多数の人はまことの神を放棄してしまいました。けれども残された少数の人たちは、抱き上げ、祝福してくださるイエスのところへ近づいて、神の恵みにあずかっているのです。主に信頼して参りましよう。