8月8日

 「生きがい」を失って自殺する人の数が毎年日本では三万人前後と報道されています。生きがいとは、「生きているだけの値打ち、生きている幸せ、利益」と辞書にあります。ところがこれら一切を失った人たちは生存理由を新たに発見できない限り、自らを悲劇の主人公に追いやらねばなりません。阪神・淡路大震災においても、また二〇〇四年一〇月二三日に発生した新潟・中越大震災でも多くの方々が、生きがいでもあり、張り合いとしていた大切な数々のものを 一瞬にして失い、壊されて号泣、失望、時に絶望のなかに佇(たた)ずんでおられる方々の姿を見ました。
 震天動地の出来事にまさに言葉なしであります。前途はただ暗闇、世の中が真っ暗になった体験、深い谷底に突き落とされた思い、人生設計が完全に壊された中での当惑と混乱、先への不安と恐れのために、ヤケ酒、投げやりな気持ちに陥り、空虚感からついに自死、自殺さえもふと考えられた人もあったに違いありません。実際にそれを実行してしまった方々の数を幾ら数えても致し方ありません。
 けれども主イエス・キリストは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ一一・二八)と言われています。ここに新たな生きがい、生きる張り合いを見出して再出発されん事を祈ります。