8月7日

 ルカ一六章一九節以下に死後の世界の一端が描写されています。この物語の意味するところは、神の審判が存在すること。その審判によってこの世の不平等は解決されること。故にこの人生の日々を真の神を信じて生きること。来世における神の報いを信じて、悔い改めつつ生きることなどが教えられています。
 私たちの回りにはラザロのような「全身おできの貧しい人」、金持ちの門前で寝ていて、犬もやってきて彼のおできをなめていた(同二〇~二一節)というような乞食同然の人もいないではありません。しかしこの貧乏人に象徴される不平等感を味わっている人たちは大勢いる訳です。けれども神様はやがて公平に裁いて、今泣いている人たちの涙を、必ずやさしく拭き取って下さる時がくることを信じて耐えてゆかねばなりません。全てをご存じの神はこの不公平、矛盾など一切の帳尻を合わせなさいます。終末の救いの完成を信じて信仰生活に拍車をかけて参りましょう。
 ここで方向を変えて冒頭引照聖句の物語の「ラザロと金持ち」の話は、実は金持ち、富める人たちに向けられているもので今、現在ここで神の御言葉に対して傾聴すべきことを訴えているのです。富める国のアルバート・シュヴァイツァーは、聖書に聴従し医師となって、貧しいアフリカを助けようと密林奥深く入っていきました。