8月6日

 今年も広島・長崎原爆投下記念日が訪れようとしています。この時、キリスト者としていよいよ平和を作り出してゆく努力をせねばなりません。
 平和を作る者は、第一に平和な性質の者でなければなりません。挑戦的、闘争的性質ではなく、温和、柔和、寛容的性質を養い、いよいよ熱心に「私は平和を──」(詩篇一二〇・七)と平和への意向を固めたいと願います。
 第二に平和な語らいを好む者でありたいと思います。物騒な破壊的なことを語るのでなく、できる限り平和の提言に耳を傾け、それを人々に知らせなければなりません。建設的、建徳的な平和を思う会話に同調し、むしろこの世の憎しみ、争い、分裂、仲たがいの「破れを繕(つくろ)う者」(イザヤ五八・一二)とならねばなりません。そのために神との和解がまず必要です(エペソニ・一六)。
 平和を作る人々が幸い(マタイ五・九)とされるのは、その人々は平和を築く事で喜びを分かち合い、また人々の目を平和へと向けさせるからです。また真の意味で人々に仕える満足を味わう事になるからであります。使徒パウロはエペソニ・一四~一八「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし…」と言って平和の基礎、土台がどこから、誰からくるかを述べています。人間のうちに潜んでいる恨み、憎しみ、敵意という根源的なものが砕かれない限り、真の平和は訪れません。