8月29日

 イエス・キリストはルカ一三章三節で、「そうではない。わたしはあなたがたに言います」と強意の否定語をまっさきに出し、ピラトの弾圧による犠牲者も、シロアムの塔の崩壊で死んだ人たちも、今ここにいる者たちと比べて罪が重かったなどという事は決してないと告げます(ルカ一三・一~五)。これがイエスの確信でありました。
 ある人たちはこれら二つの事件で死んだ者達は何か悪い事を行なったので、その報いとして死んだという因果応報的な考えをもっていたので、イエスはそうではない!と強く否定されたのです。むしろ、他人が蒙った災難を見て自分たちを彼らよりもましだと考えたり、あるいは彼らを気の毒がるような、その心こそ、実は神の裁きの対象となるのです。なぜならそこには自分は大丈夫だという自己保全を喜ぶ思いがあるからです。
 「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」(同五節)この言葉は、「あなたがたも彼らと同じ罪の状況にあります。だから悔い改めなさい」という、犠牲者たちといま生きている人々とを同じように考えての呼び掛けというより、原文から受ける印象はもっと強いものがあります。「むしろ、お前たちの悔い改めがなければ、全部同じように滅びるのです!」であります。主イエスは犠牲になった人たちが、一般の人間より罪が深かったとも、そうでないとも言っていません。彼はこの事件を他人ごとのように見ていません。