8月28日

 聖書の神、主なる神とはどのような神でしょうか。私たち人間が勝手気ままにその手で作った芸術作品のような、死んだ非人格的、非生命的存在ではありません。生きた生命脈打つ、人格ならぬ神格をもち給う全能者です。
 故に詩人ダビデはこの神をわが前において、叫び祈るのです。「私が呼ぶとき、答えてください」(詩篇四・一)と。そして彼は「私が呼ぶとき、主は聞いてくださる」(同三節)と告白し、この主によって始めて真実の喜びと平安が到来することを、証ししています。特にその喜びは「穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています」と表明しています(同七、八節)。
 人はどれ程に豊かなこの世の富を所有しようとも、それだけでは決して喜び得ないように、その人間性は本質的に、神によって造られていますから、この造物者、創造者なる聖書の神との出会いがなければ決して平安も真の喜びも沸き上がってこないのです。
 また創造主の中にのみ真の平静さが秘められているのです!ですから確信をもって、主に拠り頼んでいこうではありませんか(詩篇四・五)。詩人は八節で「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます」と、どのような状態に在ったとしても、心配や恐れによって妨げられることのない眠りは、創造主によって与えられるものであることを告白しています。