8月26日

 詩篇八四篇には、「純粋な巡礼の歌」(キッテル)が記されています。詩人は遠い異国よりはるばると、神の都エルサレムを慕って巡礼者の群れに加わり、この歌を歌っています。万軍の神、主を求め、主の大庭を恋いしたっている心情は、四二篇あるいは四三篇の詩と一味相通じるものがあります。
 ここには「なんと幸いなことでしょう」の語句が、四、五、一二節の三ヶ所に記されています。すなわち、幸いな人とは神の家にすむ人のこと、換言すれば主なる神と交わる生活、主に祈る生活を持続している人、また、主を朝に夕に賛美する人を指しています。決してこの世の金銭、物質に左右されない信仰的、霊的幸せを示しています。
 第二に巡礼者には神の力、全能の主の力、今日的に言えば聖霊のお力が注がれているので、涙の谷、枯れた水なき谷を歩むような辛い日々を送るようなことがあっても、そこを主の力ではねのけて力から力へと進みゆく、泉の湧く場と変えられていく幸せが体験できるというのです。
 第三に主に信頼する人の幸せです。万軍の神が盾となって守ってくださる幸福です。一〇節以下には礼拝者の幸いが描写されています。本編は巡礼者の歌ですが、私たちもみな天国を目指して旅する巡礼者です。日夜キリストを目標としてひたすら求道の一路を進んでまいりましょう。