8月21日

 本年は(一九九五年)敗戦記念日より数えて五〇年目の節目の年でもあります。空襲による大火災によって多くの大都市は焼け野原と化しました。以来営々と日本人は働き、努力し今日の繁栄を築きあげました。しかし、そこにおごり、高ぶりはなかったのか。自己過信はどうでしたか。神など無くとも、いや例え存在するとしてもこれに頼らなくとも自分の手で大丈夫一人立ってゆけるという錯覚、思い違いはありませんでしたか。
 主なる神は関西・阪神・淡路地方を揺さぶって、日本民族、日本国家よ、汝ら自らのごう慢を悔い改めて我に帰れ、と叫んでおられます。この度の大阪府、兵庫県を含む阪神淡路地震による被災者、犠牲者の方々に対するご冥福とまた一日も早い日常生活への復帰を祈ると同時に、今回の火災を伴う大災害が、単に天災、人災の結果だと簡単に片づけてはなりません。明確に聖書の神の「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」(ルカ一三・三、五)という警告の声として受けとめねばなりません。
 もちろん六千人を上廻る死者の方々の全てが滅びたなどと失礼にも断言はできませんが、残された 私たちはみ言葉に従って主のみ前に悔い改めあるのみです。「人は神を恐れなければならない」(伝道者の書三・一四)と記されています。宇宙の創造者、まことの神の前に畏れおののいて悔い改めるならば、再び立ち上がらせて下さるでありましょう。