8月16日

 平和という神の賜物は、信頼に満ちた祈りによって、また地上に平和を打ちたてようとする人間の努力を必要といたします。旧約聖書、士師記の時代は罪によって失われた平和を回復する為に、神が解放者を出現させた時代であります。預言者たちが待望していた平和は遂にイエス・キリストによって実現しました。人間の罪が敗北し、潔められ、平和の主イエスを信じる時、真の平和が到来するからです。
 とは言え、主が終わりの日に再臨するまでは真の平和は完全には実現せず、依然として未来に待つべきものでありましょう。今日の世界各地における国家内、部族間の紛争を見てもよくわかります。けれども私たちは平和をあきらめてはなりません。「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれ」るからです(ヤコブ三・一八)。
 ルカ二・一四はイエスの誕生に際して、天使が「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」と告げています。ヨハネ福音書一四・二七で、イエスはご自分の平安(エイレーネ=平和)を与えるとの約束の言葉を残しておられます。パウロはエペソ二・一四~一七、コロサイ一・二〇以下でキリストに在る平和を語っています。私たちも平和を実現する人となりましょう。そして平和はまず神との和解に根ざしていることを上記の聖句から学びましょう。