7月7日

 人間の祈りはまず自分、私、個人の事が多いものです。けれども主の祈りは「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ六・三三)です。これは真の神が神として崇められ、讃美されますように、ということです。この地はアダム、エバ以来暴虐に満ち、殺し合いがなされ、異教の神々が祭られ、拝まれ、真の神は排除され、人の心はますます悪におちてゆくのです。
 この頃、「オヤジ狩り」と称する無分別な若者による暴行、強奪が流行しているとマスコミは報じています(一九九六年)。本当に真の神様のご支配はどこへいってしまったかと思われる無法ぶりです。こうしたサタンが猛威を振るっている世の中であればこそ、神のみ「国」(ギリシャ原語バシレイア)を、また神のご「支配、統治」(同バシレイア)を、速やかに来らせ給えと、祈らざるを得ません。「だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。』」(マタイ六・九~一〇)。
 主イエスは伝道を開始された時、「時が満ち、神の国は近くなった」(マルコ一・一五)と言われ、また、「もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(マタイ一二・二八)とも言われました。その意味では、イエス・キリストにより彼を信じる者の心の中に、神の国、神の支配、統治はすでに到来している事を確信して堂々の人生を送りたいものです。