7月6日

 《イエスの苦闘…人々のために》
 キリストも人の子でありました。故に「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』」(ヨハネ一二・二七)とゲッセマネの園で十字架におかかりになる前に祈り、言われました。
 無理もないこと。一般的に言って、誰が好きこのんで他人の犠牲になれましょうか。しかし言葉を続けて「わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」(新共同訳)とも言われています。さすがです。一粒の麦として死にゆくことも、まず父なる神のことを念頭においておられます。そして父なる神のご意思に従うキリストの十字架ヘの道が示されていると同時に、天国への「栄光の帰還」を信じる「栄光の人の子」イエスがヨハネによって告げられています。
 次に雷のような天からの声が大きく聞こえた時も、「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです」(ヨハネ一二・三〇)と言いつつ、自分がどんな死に方で死のうとしているのかを示そうとして発言されています。
 我々人間はとかく自分のことしか考えない。自分が優先順位第一なのに、キリストはそうではありませんでした。天の主なる神のため、罪深い人間を救うためが、常に思いの第一でありました。再度主イエスに見習いたいと思います。