7月4日

 主なる神はご自分の像に人を創造され、しかも男と女とに造られた時言われました。「生めよ。ふえよ。地を満たせ」(創世記一・二八)と。この言葉は祝福の言葉です。その後の人間も罪を犯し神の審判を受ける訳ですが、創世記九・一を見るとそこでも主は「ノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた」とあります。
 更にアブラハムの時代になっても神は彼をして「祝福の基」、「祝福の源」となるように定められました(同一二・二)。そして今日、神の祝福はただ信じる信仰によってアブラハムが祝福を受けたと同じように、現今に生きる私達にも分け与えられている事を感謝しなければなりません。しかもその祝福は単に世俗的、地上的な事柄にとどまらず、むしろ「天にあるすべての霊的祝福をもって」(エペソ一・三)なのであります。
 換言すれば、罪の赦しの祝福、主の前で祈り、賛美できる祝福、聖書の世界に生きることのできる祝福、主なる神とキリストの体なる教会に仕えることのできる祝福であります。
 いずれにしても、聖書の神は「祝福の神」、「祝福の父」です。この神が送って下さった主イエス・キリストによって救いの喜びが与えられました。祝福の神は、無闇やたらに罰したり、審いたり、怒ったりはしません。むしろ祝福を本質とする神は、ご自分が造られた世界とそこに生きる私たちをキリストによって祝福されるのです。